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2011/03/02 (Wed) 唐津の祖母

2011年12月26日に、父方の祖母が亡くなりました。
書こうかどうか迷いましたが、祖母のお話をしなくては先に進まないので書かせていただきます。
とても素敵で賢く、格好良く、健康で元気な祖母でした。

あれは、11月28日の岐阜県高山市に料理のアシスタントの仕事として呼ばれ、向かっている最中でした。
11月15日新潟県に居た頃、祖母が入院したとの連絡が入りました。
最初聞かされた時には、少し入院したら出れるだろうと言う話でしたが、後日再度連絡が入りました。
それは危篤の知らせでした。。

急いで富山県に入り、そこから岐阜県まで走りました。
新潟から富山に行く道も富山から岐阜に行く道も峠道で、狭いトンネルも多く大変でした。
自転車は、岐阜に居る28日に一緒に仕事をする方に預かっていただくことにしました。

この頃は寒さに磨きがかかりとても辛かったです。
岐阜に向かう県道沿いのバス停で一夜を過ごしました。
周りは山ばかりの何もない暗い中で、寒く喉が渇き、お腹が減りました。
急いでいたのでどこで寝るか、食料、水等何も考えてなかったのです。
次の日は大雨でした。走り始めて30分ほどでタイヤが破れ押して歩くことになりました。
目的地まではまだ80キロ近くありました。

先方に自転車が故障したため予定より遅くなることを伝えると、なんとお昼に僕を迎えに来てくれました!
おかげで急いで電車に乗り、祖母の居る佐賀県唐津市に向かえました。
このとき僕のせいで会議に遅れてしまったようで、大変ご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありませんでした。
そして本当にありがとうございました。とても助かりました。
おかげで祖母に会うことができました。これが祖母と僕の最後の別れになりました。

病院に着き、病室に入ると沢山のチューブが付いた祖母が寝ていました。
そんな姿の祖母は酷く辛そうで、何かしてあげたくてもなにもできない自分が情けなく、辛かったです。
酸素を送る機械によりなんとか息をしている祖母は、意識はハッキリしているもののとても喋るのが苦しそうでした。
沢山話をしたくてもマスクのせいで、水の中で喋ってるようで言葉は、聞き取りづらく祖母も話辛いようでした。
また、面会時間も10分ととても短かったです。
それでも仕事のある28日までのあいだ毎日病院に行きました。
仕事は、前日入りしなくては間に合わないので26日夜、岐阜に入りました。

仕事が終わり、両親に祖母がもう長くないので唐津に居てあげてと言われましたが、僕は考えた末それは断り、自転車で唐津まで行くことにしました。
祖母は、僕が旅に出てから毎日お寺にお参りに通いつめて、母がプリントして祖母に送ってあげてるこの僕のブログも毎日読んでいて、僕が来ることを誰よりも楽しみにしていました。
祖母が生きている内になんとしても自転車で会いに行きたくて、急いで佐賀に向かいました。

この頃からちょうど雪が降ってきて、気温がぐっと下がりました。
霙が降った日には、手があまりの冷たさに手が酷く痛み指先に感覚がなくなり何度も指先が腐らないか確認しました。
今回の旅で最もゆっくり観光したかった京都もどこも寄ることなく駅で簡単な食事をすませ進みました。

京都に入ったところで、5月に働かせて頂いた奈良の月ヶ瀬健康茶園さんが、奈良でお茶の試飲会のワークショップをするので手伝いに来て欲しいと呼ばれ、電車で奈良まで行きお手伝いさせていただきました。

大阪で親戚の家に泊めさせてもらい、自転車の荷物を半分減らしました。
急ぐので自炊道具もすべて下ろし、唐津に送りました。
大阪を出て30分ほどたったところで、荷台を支えるネジが折れました。
すでにかなりギリギリだったみたいで、3日後には荷台自体が折れ駄目になりました。
その間は、応急処置で走り続けました。自転車が大分ガタが来ていて不安でしたがなんとか走り続けられました。

12月26日の夜、寒い風吹き荒れる夜。
ネット喫茶に入り荷物を降ろし、ほっと胸を撫で下ろしたところで電話が来ました。
父からの電話でした。なんとなく嫌な予感を胸に抱きつつ電話を取ると、それは・・そう、祖母が亡くなった知らせでした。
僕は自転車で祖母に会いに行くことは、できませんでした。。。
僕自身この旅で祖母に会いに行くことをとても楽しみにしていて、祖母の驚く顔を想像して毎日旅をしていました。
唐津までは相当急げばなんとか後4日程で着けそうでした。非常に残念でなりませんでした。
とても悔しかったです。

しまなみ海道が通る尾道市と言うちょうど広島と岡山の中間地点になるところでした。
翌朝ここから船を3つ乗り継ぎ四国に渡りました。
自転車で70キロほど走り、愛媛県松山に入り、福岡行きの船に乗りました。
この船がちゃんと調べていなかったのですが、1日1本夜9時にしか出ておらず、通夜には間にあいませんでした。
翌朝4時に福岡小倉に着き、自転車を駅の駐輪場に荷物ごと預け、始発で唐津に向かいました。

相当疲れていた為か、博多から唐津行きの電車の中で寝てしまいました。
気がつくと電車の倉庫でした。
この為相当遅れてしまいましたが、なんとか火葬10分前ぐらいにぎりぎり間にあいました。

祖母は、大変元気な人で、何処に行くにも交通手段が歩きで、片道5キロぐらいかかるところにも歩いて買い物をしに行ったりするほどでした。
誰よりも驚いたのは親戚家族ではなく祖母が一番驚いていました。


病院で祖母に会ったとき「とも君は、立派になったねえ、凄いねえ。」ととても嬉しそうに祖母が言ってくれました。
とても嬉しかったです。
そんな大好きな祖母の言葉に答える為にも頑張っていきます!!!

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プロフィール

kanamaru tomohiro

Author:kanamaru tomohiro
金丸ともひろ
1988年9月17日 生
東京都 出身
2010年4月7日に東京を出発

父(金丸弘美)が食環境ジャーナリストと言う仕事をしていて、そのせいか小さい頃からとても食に興味があります。
将来は食に関わる仕事がしいと思い、若い内に直接自分の目で食べ物ができる所から見てみたいと思い日本各地の農村漁村などを自転車で廻ってきます。

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