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2011/04/11 (Mon) 徳之島


1月11日祖母の家を後にして僕は、鹿児島県大島郡の離島、徳之島に向かいました。
徳之島までは、自転車や荷物を担いで電車で移動。
その後、鹿児島中央駅で一泊した後、船で徳之島に渡りました。
船は1日1本、夕方6時に出ていて、15時間で着きます。

徳之島に着いたらすぐに自動車屋の友人の所に行って、車を借りてきました。
実は、中学1年生の頃から4~5年徳之島に住んでいたんです。

車で親戚の家まで行き、その後友人と集まりカラオケをしました。
母型が徳之島なので親戚も大勢居ます。

徳之島に残って居た友人は、6人ほどでした。
徳之島には、高校までしか学校がなく、主な収益は、農業です。
そのためほとんどの子供達は、高校を卒業後、島外の大学や専門学校に入学後、本土に就職します。

なので正月などの時期にしか皆が島に居ることがないので、正月中に島に来たかったのですが、今回は無理でした。

次の日12~4月中は、サトウキビの収穫期だったのを思い出し、アルバイトをしようと思い母に知り合いを当たってもらったら、なんとすぐに見つかったのでその日の内にすぐに会いに行きました。
働かせてくれる事になったのは、奥様が母の友人でサトウキビの機械狩りをやっている永治さん家。
働いてる間家にも泊めさせて頂いた。
徳之島には、約1ヶ月いたが、着いてすぐに永治さんの所に行ったので、徳之島でのほとんどを永治さん御家族と過ごした。
お陰でサトウキビも沢山の事を学べた。

また、永治家の家紋が母型の家紋と同じで遠い親戚だと言うこともわかった。
しかも永治御夫婦が僕の大叔父の元教え子だったと言うこともわかった。

永治家のみではなく、製糖期間中は、収穫に追われ機械狩りのサトウキビ農家に休みはない。
それは、サトウキビの機械を持ってる人達には、他のサトウキビ農家からもサトウキビを狩る依頼がくるからだ。
そのため永治家は、製糖期間中のほとんどを外食ですませてしまう。
そこで永治家に居る間夕御飯を僕が作ることにしました。

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2011/04/02 (Sat) 高知県土佐清水道の駅リニューアルオープン

実は今、高知県土佐清水に居ます。
何故土佐に居るかと言うと、仕事の為ここにいます。

自動車は、鹿児島です。
土佐清水にある道の駅めじかの里がリニューアルオープンのイベントをするので、土佐の雑魚と野菜を使って屋台をプロデュースするのが先方のご依頼です。

明日、と言うか今日4月2日オープンで2日間やります。
ブイヤベース、リゾット、貝や野菜の網焼き、野菜のキッシュ、フリット、グリーンサラダ。。。
などなど他にも様々な屋台が出ますが、僕が担当するのは、今言った物です。

正直種類が沢山が良いと言われたので答えましたが、仕込みが大変でしたw
今日も朝8時から夜11時半までずっと仕込みをしてましたw

一昨日も忙しく、いろいろゆっくり面白い内容も書き溜まってて沢山お話ししたいのですが、ちょっと待ってくださいw


ここに来るまでの経緯もイベントが終わってから書きます。
明日も早いので今日は、もう寝ます。

ああ、それと売上の一部は、東北地方太平洋沖地震の義援金にします。
また更に募金も集めます。
集まった募金は、全て赤十字社に寄付します。


http://m.ameba.jp/m/blogTop.do?unm=mejikachan-batake
こちらは、めじかの里のスタッフさんのブログです。

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2011/03/20 (Sun) 皆様は今後どう備えますか?

今回の東北地方太平洋沖地震のさい僕は、大阪に居ました。
たまたま三重県で用事があり、叔母と祖母の住む大阪に寄って泊まっていました。
今回、大阪に居て本当に良かったです。
安全の面でもそうですが、ここにはパソコンもあり、電気もあるので落ち着いて情報が手に入るからです。
自転車で旅なんかしていたらきっとそうは、いかなかったと思います。
今回の地震でインターネットの大切さを痛感しました。
インターネットで正確な情報が得られないと言うのは、今後、昔で言う文字が読める人と読めない人ぐらい情報量に差が出るのではないでしょうか。。

我が家の家族は、皆無事でした。
災害時、母は東京の実家に居たそうですが、家の中はぐちゃぐちゃになったそうです。
電子レンジなどの大きな電化製品も落ちて、壊れたそうです。

僕の部屋がどうなったか聞いてみましたが、なにも落ちてなくてそのままだったそうです。
実は、旅に出る前にもし旅の途中で地震が来たり、家族が引っ越したり、僕が事故や病気、災害に巻き込まれて死んだ場合を考えて、荷物は全部箱に詰めて地震が来ても大丈夫なように家具の配置も考えてきました。
おかげで僕の部屋だけなんともなかったそうです。備えあれば憂いなしですね。
それに僕が居ない間家族が僕の部屋を使いたいかもしれないし、物置等にするかもしれないので予め片付けときました。

今回は、いつもの日記ではなく、僕なりにまとめた災害等の情報と災害に普段から備える為のアイディアや知識です。

まず僕が普段行なってる簡単で特に防災グッズ等がいらない備えです。参考にしていただき応用していただけるかと思います。
災害が起きていざ必要な時に手に入れたい物が手に入らず、慌ててみても遅いので、普段からできる簡単なことぐらいは、皆さんも備えてみてはいかがでしょうか?

今回の例から見ても分かるのは、食料、トイレ、防寒用品、明かり、電気、電池等のエネルギー、女性なら整理用ナプキン、子持ちの方ならオムツやミルクでしょうか。
大まかに見てみるとこんな感じだと思います。
ですが、各家庭によって必要な物は違うと思います。
例えば僕なら整理用ナプキンやオムツ、ミルクは必要ないです。

そう言った事から僕が普段心がけている事は、まず、腐らない物は普段から買いだめすることです。
■ゴミ袋
これは、買いだめして置いても邪魔になりません。そして普段の生活で使いますし、例えば地震の災害時は、ゴミの収集も来ません。トイレがありません。寝る場所がなくて野宿になるかもしれません。
そんなときゴミ袋が沢山あれば助かります。
シートに使ったり、テントを造ったり雨具を造ったりに使ったり、トイレとして使うこともできます。
切って広げて担架の変わりにするのも良いでしょう。
荷物や水を入れるのに使ってもいいです。
また、水がない場所で飲み水の確保にも使えます。
↓ビニールを使った水の確保の仕方
http://blog.goo.ne.jp/coordi/e/dcc917608cd18f056eefd4e538d11351
そして、新型のウィルスが蔓延してパンデミックが起きた際には、ウィルスの遮断、ゴミの管理が大切になると思われます。
最悪ゴミの収集は、機能せず、町にゴミが蔓延し、死体が放置されるなんてこともあるかもしれません。
そんな時ゴミ袋は秘中需品だと言えましょう。
玄関に外からのウィルスを遮断するためにカーテンを作るのに使うのにも役立ちます。
1年分、2年分買って置いてもそこまでかさばるものでもありません。
雨に濡れても良いのでベランダ等野外に保管することもできます。

■マスク
インフルエンザ、放射能汚染等が流行ったら手に入らない可能性が非常に高いものです。
僕は、一昨年ぐらいでしょうか、2ヶ月に1回、父がやってる日本ペンクラブ環境委員の集まりで、国立感染症研究所の岡田晴恵さんを講師で読んだ際に、講演後、家族4人分のH5N1型ウィルス用マスクを1人1日2個で計算して3ヶ月分用意しました。価格は、1個当たり役100円です。
↓岡田晴恵さん
http://moura.jp/clickjapan/influenza_book/
これは使わなかったら使わなかったで、掃除をしたりする時に使います。
また、今回の原発事故のような場合や、原子力発電所にミサイル等落とされた場合にも役立ちます。
それと僕は、去年まで日本橋三越に勤めて居たのですが、新型インフルエンザがニュースになった際に、キッッチンに勤めてる人全員がマスクをして営業を行なうよう三越側から義務づけられたので必要になりました。
このときすでに走り回ってもマスクが手に入らず、インターネットでは、1個当たり1000円を越してる物もありました。
結局マスクは僕のを一時提供しました。
このマスクとは別に、手術用の業務用マスクを2000枚用意してあります。
手術用は大変安いです。
普段掃除をしたり風を引いた時に使っております。
花粉症の方なんかは多めに買っといてみてはいかがでしょうか?

■消毒用アルコール
僕は、レストラン等で使うお皿や手を消毒する業務用の消毒用アルコールを常備してます。
これは、新型インフルエンザに備えてですが、災害時には傷の消毒に使おうかと思ってます。
ただ、商品説明には、傷の消毒には、使わないでくださいと必ず書いてありますので、真似しないでください。
また、災害時は、水が手に入らない場合もあるので、O157等の食中毒を防ぐためにも除菌として使えます。
普段は油汚れの掃除や、トイレ掃除、ホワイトボードに書いた落ちなくなった文字を落とすのに、油性マジックで書いた字を落とすのに等、主に掃除に使ってます。
また、女性ならマニュキュアを落としたりにも使えるのでは、ないでしょうか?

■使い捨てゴム手袋
これも新型インフルエンザに備えてですが、普段は掃除のときに使ったり、ペンキやスプレーを使った日曜大工の際に使ったりしてます。
災害時は水筒に使ったり、切って髪留めや袋を結んだり、食べかけの物を害虫から守り入れとくのに使えます。

■保存食 栄養補助食品
缶詰は、古くなっても美味しい。むしろ物にもよりますが缶詰は、新しい物より古いものの方が味が馴染んで美味しい物が多いです。
僕は、イタリアンを家で作ることが多いので、普段ホールトマトを沢山買っておいてあります。
ホールトマトみたいなのなら様々な料理で使えるし、安くて非常食にも使えます。
缶は、調理道具としてご飯を炊いたり、お湯を沸かしたり、味噌汁やシチュー、リゾットや粥を作るのにも使えます。
また、コップや器にもなりますし、コンロにもなります。
災害時は、缶なら瓦礫や新聞紙、牛乳パックや小枝等少ない燃料で調理が可能です。

栄養補助食品。日持ちして栄養バランスを整えることのできる栄養補助食品は、非常食としては、最適かと思います。
我が家は、ミキプルーンと言う栄養補助食品を昔から取っています。と言うか、売ってます。売る側です。
このミキプルーンは、プロテイン(たんぱく質)、バイオC(ビタミンCやカルシウム)、プルーン(プルーンを凝縮して液体にした物で、鉄分や糖、様々なビタミンが取れます。)、まだ他にも沢山ありますが、大雑把に紹介するとこんな感じです。
これが常に大量にあるので、災害時家族4人で少なくとも3ヶ月は、持つと思います。
困るのは、水ぐらいですかね。。
母方の親戚の多くがミキプルーンを取っているので、我が一族は、家が瓦礫に埋もれて入れない。
家が津波で流されたと言う場合をのぞいては、非常食は困らないかと。


■生理用ナプキン
僕は、男性なのでいらないし、普段持っても居ないのであまりナプキンとして以外の使い方は、考えた事がないのですが、これは止血として傷の手当で使えます。
今回の災害や阪神淡路大震災を見てみても生理用ナプキンが足りなくなっています。
阪神淡路大震災の時は、下着も変えれないという悲惨な中、ナプキンを1日中付けっ放しにする人が増加し、ガン胃炎、膣炎症が増加しました。
傷む物でもありませんし、普段多めに買って置いても良いのではないでしょうか?
あ、あと貝割れ大根等を育てるのにプランターとして使えるので、家庭菜園や子供さんの夏休みの自由研究で使ってみては、いかがでしょうか。

■蜂蜜
蜂蜜は、普段果物等の加工品を作るのに使ったり、料理やスィーツを作るのに調味料に使ったり、甘味料として紅茶やホットミルクに入れたりしてます。
また、風を引いた際には、大根アメをつくったりして民間療法の材料として使ってます。
蜂蜜には、殺菌、消炎作用があり創傷の際の消毒に使える他、医薬品として口内炎の治療などに使われます。
日本薬局方に医薬品としても記載されています。
ただし砂糖水などの甘味料で水増ししたものにはこれらの薬効は薄いとされてるので注意してください。
蜂蜜は、傷の手当や調味料、糖分を取るのを兼ねて僕は、旅でも持ち歩いています。


これらは、あくまで参考で、やり方や供え方も人それぞれだと思いますので、ご自分にあったやり方をしていただければと思います。
ただ知ってるだけでお金もかからず供えになる物は、沢山あるので、皆さん是非用意しなくても良いのでこう言う事に使えると言うことだけ知っていただければと思います。
それだけでも知識として備えになるのですから。

それと、これらは日々の積み重ねで備える物です。
被災地等にいち早く物が必要な時に、市場に足りてない物を不安感から無理に買占め等しないようにしていただきたい。

次も今回の続きで、今度は、違う内容で「皆様は今後どう備えますか?」を書きたいと思います。

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2011/03/03 (Thu) 振られました

正月明けに5年付き合ってた東京に居る彼女に振られました。
家を空けるので祖母の骨をお寺さんに預けに行った帰りでした。
電話ではあっさり別れを受け入れましたが、正直電話切ったあと結構悲しかったですね。
理由は他に好きな人ができたのと、飛び回ってる僕には、価値観が合わなくてついていけそうも無い、と言うことでした。
旅が終わるまで東京に戻る気は、ありませんし、旅が終わったらイタリアにもなるべく早く行きたいですし、気持ちも離れたなら仕方がないですね。

しかしながら祖母の実家で一人でかなり無気力になったので、元気出すのと気分転換にツタヤにDVD借りに行きました。
植木等さんの映画借りてきました。
これ見ると前向きになって凄く元気出るんですよ。
祖母の葬式や彼女に振られたダブルパンチでさすがの僕も打ち砕けないか心配でしたが、植木等さんが居れば元気になります。
やっぱり植木等さんの映画は、面白いです。

そして唐津を出て電車で鹿児島まで行き、鹿児島から船で奄美諸島の徳之島まで行きました。
徳之島は、僕が中学生の頃住んでた場所で、1月だったら帰郷してる同級生も居るし、なによりちょいちょい雪も降ってる唐津は、もう寒くて寒くて。
徳之島は、一月でも10度以下になったりすることがめったにないので調度良いのでおおちゃくして先に行きました。

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2011/03/02 (Wed) 唐津の祖母

2011年12月26日に、父方の祖母が亡くなりました。
書こうかどうか迷いましたが、祖母のお話をしなくては先に進まないので書かせていただきます。
とても素敵で賢く、格好良く、健康で元気な祖母でした。

あれは、11月28日の岐阜県高山市に料理のアシスタントの仕事として呼ばれ、向かっている最中でした。
11月15日新潟県に居た頃、祖母が入院したとの連絡が入りました。
最初聞かされた時には、少し入院したら出れるだろうと言う話でしたが、後日再度連絡が入りました。
それは危篤の知らせでした。。

急いで富山県に入り、そこから岐阜県まで走りました。
新潟から富山に行く道も富山から岐阜に行く道も峠道で、狭いトンネルも多く大変でした。
自転車は、岐阜に居る28日に一緒に仕事をする方に預かっていただくことにしました。

この頃は寒さに磨きがかかりとても辛かったです。
岐阜に向かう県道沿いのバス停で一夜を過ごしました。
周りは山ばかりの何もない暗い中で、寒く喉が渇き、お腹が減りました。
急いでいたのでどこで寝るか、食料、水等何も考えてなかったのです。
次の日は大雨でした。走り始めて30分ほどでタイヤが破れ押して歩くことになりました。
目的地まではまだ80キロ近くありました。

先方に自転車が故障したため予定より遅くなることを伝えると、なんとお昼に僕を迎えに来てくれました!
おかげで急いで電車に乗り、祖母の居る佐賀県唐津市に向かえました。
このとき僕のせいで会議に遅れてしまったようで、大変ご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありませんでした。
そして本当にありがとうございました。とても助かりました。
おかげで祖母に会うことができました。これが祖母と僕の最後の別れになりました。

病院に着き、病室に入ると沢山のチューブが付いた祖母が寝ていました。
そんな姿の祖母は酷く辛そうで、何かしてあげたくてもなにもできない自分が情けなく、辛かったです。
酸素を送る機械によりなんとか息をしている祖母は、意識はハッキリしているもののとても喋るのが苦しそうでした。
沢山話をしたくてもマスクのせいで、水の中で喋ってるようで言葉は、聞き取りづらく祖母も話辛いようでした。
また、面会時間も10分ととても短かったです。
それでも仕事のある28日までのあいだ毎日病院に行きました。
仕事は、前日入りしなくては間に合わないので26日夜、岐阜に入りました。

仕事が終わり、両親に祖母がもう長くないので唐津に居てあげてと言われましたが、僕は考えた末それは断り、自転車で唐津まで行くことにしました。
祖母は、僕が旅に出てから毎日お寺にお参りに通いつめて、母がプリントして祖母に送ってあげてるこの僕のブログも毎日読んでいて、僕が来ることを誰よりも楽しみにしていました。
祖母が生きている内になんとしても自転車で会いに行きたくて、急いで佐賀に向かいました。

この頃からちょうど雪が降ってきて、気温がぐっと下がりました。
霙が降った日には、手があまりの冷たさに手が酷く痛み指先に感覚がなくなり何度も指先が腐らないか確認しました。
今回の旅で最もゆっくり観光したかった京都もどこも寄ることなく駅で簡単な食事をすませ進みました。

京都に入ったところで、5月に働かせて頂いた奈良の月ヶ瀬健康茶園さんが、奈良でお茶の試飲会のワークショップをするので手伝いに来て欲しいと呼ばれ、電車で奈良まで行きお手伝いさせていただきました。

大阪で親戚の家に泊めさせてもらい、自転車の荷物を半分減らしました。
急ぐので自炊道具もすべて下ろし、唐津に送りました。
大阪を出て30分ほどたったところで、荷台を支えるネジが折れました。
すでにかなりギリギリだったみたいで、3日後には荷台自体が折れ駄目になりました。
その間は、応急処置で走り続けました。自転車が大分ガタが来ていて不安でしたがなんとか走り続けられました。

12月26日の夜、寒い風吹き荒れる夜。
ネット喫茶に入り荷物を降ろし、ほっと胸を撫で下ろしたところで電話が来ました。
父からの電話でした。なんとなく嫌な予感を胸に抱きつつ電話を取ると、それは・・そう、祖母が亡くなった知らせでした。
僕は自転車で祖母に会いに行くことは、できませんでした。。。
僕自身この旅で祖母に会いに行くことをとても楽しみにしていて、祖母の驚く顔を想像して毎日旅をしていました。
唐津までは相当急げばなんとか後4日程で着けそうでした。非常に残念でなりませんでした。
とても悔しかったです。

しまなみ海道が通る尾道市と言うちょうど広島と岡山の中間地点になるところでした。
翌朝ここから船を3つ乗り継ぎ四国に渡りました。
自転車で70キロほど走り、愛媛県松山に入り、福岡行きの船に乗りました。
この船がちゃんと調べていなかったのですが、1日1本夜9時にしか出ておらず、通夜には間にあいませんでした。
翌朝4時に福岡小倉に着き、自転車を駅の駐輪場に荷物ごと預け、始発で唐津に向かいました。

相当疲れていた為か、博多から唐津行きの電車の中で寝てしまいました。
気がつくと電車の倉庫でした。
この為相当遅れてしまいましたが、なんとか火葬10分前ぐらいにぎりぎり間にあいました。

祖母は、大変元気な人で、何処に行くにも交通手段が歩きで、片道5キロぐらいかかるところにも歩いて買い物をしに行ったりするほどでした。
誰よりも驚いたのは親戚家族ではなく祖母が一番驚いていました。


病院で祖母に会ったとき「とも君は、立派になったねえ、凄いねえ。」ととても嬉しそうに祖母が言ってくれました。
とても嬉しかったです。
そんな大好きな祖母の言葉に答える為にも頑張っていきます!!!

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プロフィール

kanamaru tomohiro

Author:kanamaru tomohiro
金丸ともひろ
1988年9月17日 生
東京都 出身
2010年4月7日に東京を出発

父(金丸弘美)が食環境ジャーナリストと言う仕事をしていて、そのせいか小さい頃からとても食に興味があります。
将来は食に関わる仕事がしいと思い、若い内に直接自分の目で食べ物ができる所から見てみたいと思い日本各地の農村漁村などを自転車で廻ってきます。

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